makoto mizusawa's blog

All about 恋愛ガイド 水沢 真のブログです♪

あなたは何色ですか?

私は、仕事をしていく上で、自分の中で色に例えて仕事に挑む事がよくあります。

例えば多いのが、転職する時。

キャリアを築く上で、新たな職場に入社する時…。
いつも自分の心は、真っ白な状態を作る傾向があるんです。

これまで培ってきたキャリアの色はあるのですが、その色が新たな職場にしっくり馴染む事は最初から表に出してしまうと、色んな方面で、マイナスを来すことがあります。

例えば、新たな職場には、その職場なりの色(ルール)があります。
先ずはその色を把握しなければ、何処で自分の色を必要とされているのか?
あるいは、何処に自分の色を必要とされているのか?

企業は自分一人の力だけでは、貢献出来ない部分がたくさんあります。
その企業に属したからには、その企業の色と自分が持つ色を掛け合わせて、プラスに転じさせなければ、貢献には至らないという自分の見解です。

また、自分のキャリアを最初は真っ白にする事で、更なる自分のキャリアに対する新たな引き出し(スキル)にも繋がると感じている事から、敢えて自分の心の色を真っ白にする事で、引き出しを増やし、多方面に対応できるスキルとキャリアを築きたい為。
ある種柔軟性を身につけるという事にも繋がるのではないかと思っています。
柔軟性は仕事のスキルだけでなく、対人関係におけるコミュニケーションにも幅広く対応出来るようになると感じています。

自分を何かの色に例えるだけで、物事を考える事も、自分の中ではシンプルに整理しやすいのではないでしょうか。

もし今、貴方の中に、特別な色が多く染まり切っている時は、少し真っ白な、何も知らない自分の色を作り、吸収性をアップさせるだけでも、今後の人生には役立つ1つのヒントかもしれません。

今の貴方は、何色に染まり、何色持っていますか?

学生で始める社会経験

先日、愛娘が高校生になりました。
愛娘は高校生活をたくさんエンジョイしたい様子でして…やりたいこと、挑戦したい事がたくさんある様子です(笑)

自分がその頃を振り返ると、何かにチャレンジするとか、やりたい事を見つけるとか、あまり考えていなかったような…(笑)


先日、愛娘の入学式の時、学校の先生はこうおっしゃっていました。
「やりたいことをたくさんやって欲しい。できれば、学校終わってバイトするんじゃなくて、部活に専念したり、学業に専念したりと充実した学校生活を…」

私はそこで、ちょっと引っかかってしまいました。

確かに部活に専念することも、学業に専念する事も、学生にしかできない大切な事。
どれを自ら選択し、どんな事で自らの学校生活を充実させたいのか?
どれも皆んなそれぞれのやり方や思いがあるでしょうから、どれを優先するかは自分次第。
それで良いと思うのですが…。

バイトは学校的に、自らを充実させる選択には入ってないんですね…。

私は高校に入った時、1年程部活に入っていましたが、途中で辞めて、バイトを始めました。

最初はバイトってお金稼ぎって目的が強かったんですが、お金を稼ぐって容易じゃない!ってすごく実感させられたんですよね。

バイトは雑貨販売をしていたんですが、レジ打ちはもちろんのこと、商品整理やラッピングもやっていました。
バイトの時間は、常に働き動いてる状態でした。

たまにお客様からのクレームを受ける事もあれば、店長からも怒られ、それはそれで今思えば、怒られて当然なミスをしたから怒られたわけで、「ミスをしたら謝る」と教わったし、いつの間にかラッピングの技術も身についていたし、仕事が慣れてくると、他のバイトの子が急病で、ピンチヒッターで店長から呼ばれる事もよくありました。

なぜか、ラッピングの技術は、当時難関だった専門学校に進学する際に、適性検査があって、そのスキルが活かされて、入学できたのです。

私は自らの経験から、早くから社会経験を学ぶ事も、悪いことではないと思っています。

時間に遅れれば、仕事で何度言っても治らないミスが多ければ、容赦なくその会社からは、必要とされなくなり、辞めざるを得なくなる…。
そんな事もお給料を貰う社会経験として、早くから経験し、ミスをしないように、一つ一つの仕事が出来るようになればそれは、いずれ、色んな形になって経験として、将来役に立つものです。

学校生活を充実させるために学業に専念する。部活に専念する。
それもまた、学生である時しかできない事があり、大切な事です。

ですが、自分が将来何をしたいのか?

その目標を見つけ、その目標に対して行動できるスキルを磨き始める事こそが、1番大切な事ではないかと、私は思います。

人材教育のヒント…

私が起業に失敗し、人のマネジメントに挫折を感じていた頃。
ずっと「何故マネジメントに失敗したのか…何故皆、離れていってしまったのか?」
そう自問自答を繰り返していた時。

その「マネジメントをやってみたい、でもまた失敗したら…」そうグルグル回る思考の中で、「こうすれば成功するかも?」と、一つの案が思い浮ばせてくれたのが、当時4歳の愛娘でした。

4歳の愛娘は好奇心旺盛真っ盛り(笑)
私達の目線からすれば、ごく当たり前の物事や常識と思っている事でも、容赦無く「なぜ?」の言葉が口グセの様に連発されます。

その「なぜ?」に対して、私なりの言葉で伝えても、今度はその言葉の意味が子供自身の中で理解出来なければ、更に「なぜ?」は連発されます。

最初は「何で理解してくれないの?」や「どう説明すれば、どんな言葉を使えば理解してくれるの?」
そんな感じで、「理解出来ないのは仕方ない…」そう私自身の中で納得させる様にしていたのですが…。

違うんですよね…。
それでは何も伝わらないんですよね…。
そして何も始まらないし、何も生まれません。

4歳の娘はまだこの世に生まれて、人生経験は4年。
自分の中に生まれた疑問について、答えてくれる人は、自分の親しかいないのですから。子供が学ぶ術は、親からしかないんですよね。

言葉も親からほとんど学びます。
行動も親から真似して身につけていきます。
そうやって、子供は成長していきます。

私は子育てに奮闘しながらも、ハッ!と子供との接し方を改めて考えた時…。
この子育ての過程が、人材を育てる一つの手法ではないか?と思いました。

入社してきた新人は、まだ会社の事を何も知らない赤ちゃんと同じ、純真無垢な状態。
その新人が「なぜ?」と聞いてきたら、赤ちゃんにも分かる言葉を繋げて応える…。

部下から突然、「なぜ?」という言葉を聞かなくなったその時は…。
きっとベテランの域までレベルアップした時か、上司の言動に理解あるいは信頼がないという事に繋がるのかもしれません。

「なぜ?」という言葉は、探究心の表れ。
すなわち、その人のやる気やレベルアップに繋がるきっかけの言葉だと、私は思っています。

その「なぜ?」という言葉を聞き逃さず、見落とさず、真正面から一緒に「なぜ?」を解決する事。

それが人材教育の一歩であり、信頼関係が生まれる瞬間だと、私は感じています。

まさか、人材教育のヒントを娘から教わるとは…と、子育ての奥深さを知った瞬間でもありました。

面接の心得(!?)

私には数々の職歴があります。
その職歴を積み重ねるにあたり、一つ一つの企業に属するまでは、当然の如く、書類選考で落とされた企業もあれば、面接で落とされた企業も多数あります。
それは年齢を重ねる毎に、転職するにあたって、採用は狭き門になります。


ある会社で知り合った仲の良い同僚がいました。
その人とは、今でもお付き合いがあるのですが、私はその人が言った言葉から、面接でのスタンスを変えました。
とても衝撃的な一言でした。


皆さんは面接の時、どんな事に気を配ったり、気をつけて挑んでいますか?

私はその友人に言われるまで、面接官の質問に対して、答える…。
そんな面接をこなしてきました。

でもそれじゃダメなんですよね…。
確かに面接官の経験も私はあるのですが、ただ面接官の質問に対して簡潔に答えてるだけじゃ、「魅力、存在感の薄い人」になりがちです。

そこで友人に言われた言葉。
「面接は自己プレゼンの場でしょ!」

目からウロコでした。
そこで私はこう解釈したんです。

面接は「自分という商品価値を、自分が提示した給料支払っても、企業として欲しい人材だ」と面接官に思わせる事ができる場にしないといけないのだと…。

販売を経験している私にとっては、このような解釈が飲み込みやすかったんですよね(笑)

それから私の面接方法は変わりました。

如何に面接の流れを自分に味方につけて、自己アピールしていくか…。
そこを重視し、これまでの自分の実績を数値化したり、表にしたりして、まるでパワーポイントを使って自己表現するかの様に、面接官から質問受けたら、そこから話を拡げて、面接の場を自分の空気に変えてしまう…という方法で採用の可能性を高めました。


企業は対価以上の実力を応募者に求めます。それは、企業の利益向上に貢献して欲しいからこその考えで、当然だと思います。

そしてそこを見極めさせるのは、一つ一つの面接が大きなポイントだと思います。
そしてその一つ一つの面接時間はわずかな時間です。

自分自身をプレゼンアピールする事は、積極的且つ意欲的な印象を相手に残せます。


面接は受け答えの場ではなく、自分をアピール場として、自分に何が出来るのか?

自分自身に問いかけ、行動する事で、新たな自分発見にもなるかもしれません。


履歴書の重み

私がマネジメント職に就いていた時、必ずと言っていいほど、毎月1回は面談を行っていました。
(忙しく飛び回っていた時は2ヶ月に1回でしたが)

その会社は最初ほとんどが、アルバイト採用からスタートし、内部昇格で正社員に上がっていくシステムでした。
ただ、売上に応じて、正社員が在籍できる人数も決まっていたので、人材教育に注力していた私にとっては、メリット・デメリットが顕著でした。
そのメリット・デメリットはまた次回に書きます(笑)

アルバイト採用されたスタッフのほとんどが、内部昇格を狙います。
やはり、給与も福利厚生も違いますしね。
誰だって安定した給与が欲しいものです。
ですが、内部昇格は簡単なものではありませんでした。

内部昇格に落ちることだって、少なくなかったんですよね。
落ちたスタッフは、当然のようにモチベーションは落ちてしまいます。

それが一時期なら良いのですが、場合によっては自信を失い、内部昇格を諦めようと意志が弱くなり、それを言われた事もありました。

そんな時、決まって私が口グセの様に伝えていた事がありました。
それは…

「履歴書に箔を付けなさい!」と…。

履歴書に箔!?どういう意味?
そう思われる方もいらっしゃると思います。

履歴書はこれまで自分が在籍していた会社を書きますが、そこでどんな雇用条件で働いていたのか?までは見れると思います。
いわば、「履歴書は自分自身の社会的歴史を綴るようなもの」だと、私は思っています。


同じ年齢でも、多くの職場を経験した人もいれば、同じ会社に長く勤めた経験を持つ人もいる。
ただ履歴書には、勤務年数だけでなく、雇用形態までは記載すると思います。


履歴書に正社員で2年勤務していた人間と、5年アルバイトで勤務していた人間。
その履歴書だけを見た時、あなたならどちらを採用しますか?

履歴書だけでは、その人のバックグラウンドなんて理解出来ないと思いますが、雇用するにあたって、応募者のファーストステップは書類選考…要は履歴書を見て次のステップに進めるか否か、決まります。

私なら、履歴書だけで判断するなら、「正社員で2年勤務」を採用の糸口に近づけるでしょう。

正社員とアルバイト…そこには、仕事への「責任」の重みが違うと思っています。

これまでの仕事に責任を背負いながら仕事していたのか否かは、歳を重ねると共に重みを増しては、それが履歴書に反映されていくと思っています。


若い時は履歴書もまだほぼ白紙に近いからこそ、先に描かれる履歴書には、誠実さとプロ意識の高さが伝わるように、描いて欲しい…ただそれを描けるのは、実践・行動・経験した人のみが許される事です。

これは今でも変わらず、自分の部下には伝えてますが、自分の履歴書には、どうか泥を塗らず、箔を付けて、どの企業に行っても、自らの力を発揮して欲しい、頑張って欲しい…。

これからもそんなエールを送ると共に、自らの履歴書の重みを知って欲しいなと思っています。

メリハリの重要性

企業には、それぞれのルール・常識みたいな規則が存在すると思います。

私が仕事していく中で嫌いなものがあります。
それは「残業」(笑)

20代の頃は、自分が一番末端のスタッフだった分、上司には従わなければいけません。
時には矛盾している命令でも…。

自分が末端スタッフだった時、出勤時は毎回残業でした。
店舗クローズ後、売上が予算通りに取れなかったからと、毎回ディスプレイ変更の残業…。

私の中では意味はないと感じていました。
その時在籍していた会社は、大手国内のアパレルだったのですが、洋服を毎日同じお客様が買いに来られるわけではありません。

たまたま来られた日は、どの服にするか迷ってしまい、その日は帰られたんですが、後日やはりその服が欲しいからと再び来店されました。
ただその時、欲しかった服が、同じ場所に無くて、諦めて帰られたお客様もいらっしゃいます。

それこそ「無駄な残業」。
お客様目線で考えず、売上低下を防ぐため、自ら「頑張ってます」アピールを会社にするための残業…。
返ってマイナスな残業です。


元々残業が嫌いな私(笑)
マネジメント職に就き、積極的に取り入れた1つが「残業しないこと」でした。
それは自身はもちろんの事、周りにも周知徹底です。

時として、やらなければいけない残業もあります。クローズ後にしか出来ない残業もありますが、私の場合、それは年に2〜3回程度。
ほぼ定時で帰らせていました。

実はそこにも意味はあるのです。

就業中は、仕事をする自分に集中して欲しかったんです。

1日は24時間しかありません。
そのうち睡眠が8時間として、あとは最低8時間の労働時間…。
そう考えると、1日は残り8時間しか自分の時間はありません。

その自分時間…オフタイムに疲れを取り、自分のしたい事をして充実させるいわば、「自分をメンテナンスする」時間に費やしてもらう事で、勤務中はプロ意識を高めて集中して欲しかったんですね。
私の場合、そのオフタイムは子供と向き合う貴重な時間でもあります。

残業しない事でプライベートが充実したスタッフのモチベーション・プロ意識は向上し、売上は右肩上がりでした。

人間はロボットではありません。
むしろ、ロボットだって連続使用すれば故障し、メンテナンスを余儀なくされます。

人間はロボットと違い、感情を持つ生物故に、絡み合う感情の解れなどのリフレッシュメンテナンスをも行わなければ、良い仕事は出来ない分、プロ意識を継続させるにも限界があると、私は思います。

最近では「見込み残業」を入れて、給与を年俸制で提示している企業も多く見受けられます。

見込み残業制度を取り上げる前に、残業ゼロにするために、もっと効率的な仕事の工夫はいくらでもあると、私は思います。


ある記事で、とある企業がクローズアップされていました。

残業をしてはいけない、命令をしてはいけない企業。唯一のルールは報連相のみ。
年間約150日休みがあり、福利厚生は全て整っている企業で、業績は前年比130%の右肩上がりだそうです。
ちなみに離職率はゼロ。

私にとっては、「人を活かす」という視点から、実に興味深い企業です。

そんな企業を作りたい!と夢は膨らみ、現実にしたい。
そう思っている私は、「休むこと(オフ)も仕事である」が自分名言です(笑)

採用の基準

私がマネジメント職を再び行い始めたその会社では、「1店舗1経営者」として業務を遂行するような会社の方針でした。

それこそ、売上はもちろんのこと、店舗の仕入れから売れなかった製品のロス金額、人件費、備品などの諸経費、テナント出店にあたる家賃・・・。全ての数値が全店舗公開となっており、最終的に各店の利益金額まで公表されていました。

売上を上げても、その他出費に関する経費が多ければ、利益は当然ですが低くなります。逆に売上が他店より少なくても、経費を抑えている店舗は利益が高くなります。

店舗運営を行っていく中で、一番売上に左右される部分が「人件費」だと私は思っています。

もちろん、その他雑費などの諸経費を使いすぎてもいけませんが(笑)

 

その人件費をどのようにコントロールするのか?

そこが店長としての力量が試されるように感じます。

人件費は給料だけではありません。人が足りなければ、募集をかけなければいけないので、その広告費などもかかってきますし、微々たるものになるかもしれませんが交通費も人件費の中にて計算されていたので、遠方から出勤するスタッフを抱えると、大変です。

そこで私が最も注力していたのが「人材教育」でした。

厳しい言い方になるかもしれませんが、如何に人件費を抑えて、売上を取ってくれる有能なスタッフに育てるのか?そこが、私は自分のマネジメント力が問われる場所でないか?と感じています。

スタッフ採用も募集から面接、採用に至るまですべて自分で行います。

私はスタッフ採用を行う時、採用者に求めるものはただ一つだけでした。

 

それは「やる気」でした。

 

どうしてこの仕事をやりたいと思ったのか?

なぜこの仕事でなければいけないのか?

ただその部分のみを見るために、面談での応募者の言葉や目の動き、その他態度を見て判断していました。

他社で有能な成績を収めていたとしても、「やる気」が感じなければ採用はしませんでした。

逆に未経験者でも、情熱を持ち、「やる気」を感じられる人は採用していました。

 

「やる気」は人材教育において、とても重要な土台だと私は感じています。

そのやる気にプラスして、その人の力を引き出し、レベルアップをさせることがマネジメントを行う自らのミッションだと思っています。

本人のやる気の意志がなければ、いくら伝えても、覚えようとする本人の視野が狭く、伝える半分にも満たないほどしか業務ができなかったりして、我が道を行くタイプになりやすく、時として孤立してしまい、スタッフとのコミュニケーションやチーム力にまで影響していきます。結果、売上にも響いてしまうものです。

 

やる気があれば、どんなことでも覚えようと一生懸命に努力します。一生懸命故に、本人の覚えようとする視野やモチベーションがとても広く、どんな些細な事でも自分の物にしようと必死になり、その努力が実を結び始めては、レベルアップが早いのです。

できないことはできない・・・すなわち「未経験」だとはっきり伝え、代わりに情熱でカバーするというのも、面接官をしていた私にとっては、とても魅力的な人材と捉え、採用していました。

 

きっと、他の企業でも、面接官はシンプルな部分を見ている方が多いのではないかと私は思います。

 

まずはその企業でどれだけ貢献できる人材か?をアピールするよりも、その企業でどれだけ情熱ややる気を持って貢献したいのか?

 

きっとそこが採用の分かれ目になるのではないかと、私は思います。